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                  | 蔵春院 由緒 |  
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 関東管領  足利持氏は、時の足利義教に反抗し自ら鎌倉将軍と名乗りました。そのため、幕府は、追討を
 計り、持氏の家臣である上杉憲実に討伐の命を下しました。
 憲実は、やむなく主君持氏を鎌倉永安寺に攻めて自害させました。その後、憲実は主君を死に追いやった
 責任を感じて管領職を弟の兵庫領清方に譲って出家しました。
 そして、主君の菩提を弔うため、お寺を建てることを決意し、多福院(大仁町白山堂)に止宿中の春屋宗能禅
 師(小田原最乗寺五世)を尋ね懇請し白山堂の豪氏宮内五左ヱ門氏の力を得て今の地に長谷山蔵春院を
 建立しました。
 その後、幾多の変遷を経て今日にいたっております。
 近年では、昭和二十二年全山七堂伽藍を焼失しましたが、檀徒一丸となって復興にあたり、昭和五十三年、
 本堂を落慶いたしました。
 因みに、山号、寺号は持氏の法名
 蔵春院殿陽山継公大禅定門による。
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                        |  | 宗旨 | 曹洞宗 |  |  
                        | 本尊 | 釈迦牟尼仏 |  
                        | 開祖 | 大綱明宗大和尚 |  
                        | 開創 | 永享11年(西暦1439年) |  
                        | 本山 | 大本山總持寺 |  |  |